世界初のプラネタリウム誕生秘話:ドイツ・カール・ツァイス社の挑戦

はじめに

現在のようにドーム型天井に星空を投影する“プラネタリウム”が誕生したのは、20世紀初頭のドイツ。光学機器メーカーで名高いカール・ツァイス社が、その開発の中心を担いました。なぜドイツの企業が世界で初めて本格的なプラネタリウムを完成させたのか。本記事では、その歴史的背景と革新のプロセスを詳しく紐解いていきます。

カール・ツァイス社の光学技術

イエナの光学研究

カール・ツァイス社は、ドイツ・イエナを拠点にした光学機器メーカーとして19世紀半ばに創業しました。元々は顕微鏡や双眼鏡、カメラレンズなどの製造を行い、卓越した光学技術で評価を高めていました。
当時のドイツは工業・学問の両面でヨーロッパをリードしており、大学や研究所との連携も盛んでした。ツァイス社はそんな学術環境の中で、科学的な厳密さと産業技術を融合した製品作りを進めていたのです。

天文分野への進出

光学のエキスパートであるツァイス社が、天文学の分野に本格的に進出しようとしたのは、20世紀に入ってから。具体的なきっかけは、ドイツ国内の科学博物館から「全天にわたる星空を屋内で再現する装置を作れないか?」という相談があったとされます。これは天球儀や歯車式機械では表現に限界があり、“光”を用いた投影式の新技術が必要でした。

世界初の投影式プラネタリウムへの道

設計者たちの奮闘

ツァイス社内でこのプロジェクトの主導を担ったのが、技術者のヴァルター・バウアーズフェルト(Walter Bauersfeld)です。彼はドーム型のスクリーンに投影するため、複数のレンズやピンホールを組み合わせた球状の投影機を設計しました。この機械は内部に光源を持ち、星や惑星の位置を正確に反映させるため、歯車やモーターを用いて回転・傾斜できるようになっていました。
当時の文献によれば、投影する星の数や明るさ、星座線の有無など、あらゆる要素を試行錯誤しながら機械を組み立てたといいます。レンズの配置も複雑で、一つひとつの穴が特定の星に対応しており、少しのズレが星空全体の再現を台無しにしてしまうほど、きわめて繊細な作業でした。

ミュンヘンでの初公開(1923年)

こうして完成した世界初の投影式プラネタリウムは、1923年8月21日、ドイツ博物館(ミュンヘン)に設置され、一般公開されました。当時は天井全面に数千~数万もの星を映し出せるという事実だけでも驚きでしたが、さらに投影機が回転して季節や時間帯による星空の変化まで忠実に再現したことで、訪れた人々は「まるで魔法を見ているようだ」と感嘆しました。
この装置は“ツァイスI型”と呼ばれ、新聞や雑誌でも大きく取り上げられ、瞬く間にヨーロッパ中の話題をさらいました。まさしく、室内で宇宙を体感できる新時代の到来だったのです。

当時の反響と社会へのインパクト

科学コミュニケーションの革命

それまで天文学の教育や研究は、天体望遠鏡を用いた夜間の観測が中心でした。しかし、天候や観測場所の制約で限られた機会しか得られなかったのが実情です。投影式プラネタリウムの登場は、「昼間でも曇り空でも、一年中いつでも星空を再現できる」という画期的なブレークスルーとなりました。
科学博物館や学校は、この装置を利用して大人数の観客に星空を解説し、天文学の啓蒙に大きく貢献したのです。

観光と娯楽の新スポット

さらに、このプラネタリウムは学術的価値だけでなく、娯楽施設としても注目を浴びました。市民や観光客がこぞって訪れ、チケットは連日完売状態。子どもも大人も、まるでサーカスや映画館に行く感覚で“室内の星空ショー”を楽しんだと言われています。
この盛り上がりを見て、他国の博物館や大学、公共施設もツァイス社にプラネタリウム装置の導入を相談し始め、世界各地に広まっていく契機となりました。

ツァイス社のその後とプラネタリウム普及

ツァイスII型、III型の改良

大成功を収めたツァイス社は、プラネタリウム装置を次々と改良していきます。より多くの星を映し出せるようにレンズ数を増やしたり、モーター制御を精密化して星の動きを滑らかにしたりと、次世代モデルを開発。こうして“ツァイスII型”“ツァイスIII型”などが各地の施設へ輸出されました。
世界中の科学博物館や天文台、また都市部の公共文化施設がこれを導入することで、欧米を中心にプラネタリウムが急速に普及します。

世界への影響

1920年代後半から1930年代にかけて、イギリス、フランス、アメリカ、日本など、さまざまな国がツァイス製プラネタリウムを導入し始めました。特にアメリカでは、シカゴのアドラー・プラネタリウム(1930年開館)が有名で、一般公開と同時に大きな話題を呼び、国内の他都市でも導入が検討されるようになります。日本も1937年に東京・上野の科学博物館へツァイス製プラネタリウムを導入し、国内初の公開投影をスタートさせました。

まとめ

1923年にドイツ博物館で世界初の投影式プラネタリウムが誕生した背景には、カール・ツァイス社の先進的な光学技術と、研究者・エンジニアたちの情熱がありました。それまで古代から天球儀をはじめとするさまざまな装置が試行錯誤されてきたものの、本格的に「室内で星空を再現できる装置」を実現したのはツァイス社が初だったのです。
この革新的発明は、科学教育・研究に大きく貢献すると同時に、一般市民にとっては新しい娯楽の場として親しまれ、プラネタリウム文化が世界中に広がる契機をつくりました。現代のデジタルプラネタリウムに至る道のりは、この1923年の革命的誕生から始まったと言っても過言ではありません。

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